自然館周辺に残る浜田地震の痕跡(江津市桜江町大貫)
 以前から、新年が来ると必ず「今年こそ浜田地震が再来するのではないか」といった不安が頭をよぎる。 老婆心のような感じもするが、もうすでに百年以上が経っているので不安でしかたない。 関連記事へリンク

 ← 浜田市国分町石見畳ヶ浦 千畳敷

 浜田地震は明治5年3月14日に浜田沖の日本海を震源として起きたマグニチュード7.1の構造性地震です。 現在、観光地として知られている浜田市の畳ヶ浦千畳敷はこの地震による隆起でできたものです。

畳ヶ浦千畳敷に多産する貝類の化石床→

 上の写真には一箇所しか写っていませんが、江ノ川流域の岸辺には各所に巨岩の転石が埋まっていたり、川の中に巨岩の転石が沈んでいたりするのが目につきます。 おそらく、地震当時は江ノ川に大量の転石や土砂が流れ込んだと思います。

 上の写真で、尾根の一部が窪んだようになっているところは地震発生前までは赤の破線くらいの高さまで尾根があったと思います。 地震の振動で尾根ごとごっそり崩落し、岩屑流(岩なだれ)となって山斜面にあった土砂や転石を巻き込んでさらに土石流となって流れ下ったと思います。

 なぜ、尾根の一部が地震の振動で崩落を起こしたのかについて、その答えを与えてくれる主な要因が断層の存在です。 注意していただきたいのは、この断層は決して浜田地震の発生のときにできたものではなくて、地震発生以前の遠い太古の昔にできたものです。
 もし、この断層が浜田地震のときにできたものだとすれば、地表に明瞭な断層地形が形成されるはずです。 また、断層を境にして東側の凝灰岩層がどこに変位しているかわからないくらい規模の大きな地震であれば、この一帯では当時とは較べものにならないほどの激烈な地震だったに違いないです。
 遠い昔、ここに断層ができるとき、これに伴われて周辺の層にほぼ同じ姿勢で小断層や節理が数多く形成され、岩盤がほとんど積み木を組んだようなブロック状になってしまっていたと思います。

 上の図は、いわゆる地質平面図や地質断面図と言われるようなものですが、わずかな計測データをもとに図学的に作製したものであまり精度はよくないです。 図上に走向・傾斜を記入してないのでわかりづらいですが、凝灰岩層は北西側に25度の傾斜で、断層は南西側に60度の傾斜で作図しています。 ただし、断層の方は実際には崩積土に埋まってて直接計測はできず、周辺の節理などから姿勢を推定したものです。
 赤い線で示しているのが断層ですが、自然館のほぼ真後ろの山斜面を通って江ノ川に伸びていってます。 注目すべきは凝灰岩層で、断層を境に東側には変位しているはずの凝灰岩層が見あたりません。 踏査不足のせいもありますが、おそらく相当遠くまでズレていると思います。 もしかして江ノ川の底の方にあるかもしれません。

これも浜田地震の痕跡かも? 「鬼滅の岩」と「犬岩」(桜江町猪瀬〜花河原)
 
 自然館から江津方面へ国道を車で8分位行くと川側に国土交通省の緑の看板が立っている駐車スペースがあります。 ここから対岸付近に筆者がかってに命名した「鬼滅の岩」と地元の人達から古くから呼ばれている「犬岩」が見えます。 どちらもかなり大きな転石で、川岸に面する山斜面から落下してきたものにちがいないです。 はたして浜田地震のときのものかは不明ですが、筆者は以前からそう思っていました。(上左の地図は国土地理院発行2万5千分の1地形図「川戸」を複写したものを使用)

自然史ミニ展「地元に残る地震の痕跡」(平成28年4月桜江町坂本の博物館施設にて) 
 同町坂本にある水をテーマにした博物館施設は現在は休館していますが、数年前までここで自然史ミニ展を一ヶ月ごとに展示替えしながらやっていました。 平成28年4月には自然館周辺の浜田地震の痕跡をテーマにしたミニ展示をしました。 しかし、地元の人達にはあまり関心がなかったようで、話題になるようなこともなかった。 郷土の自然を一番知らないのは郷土の地元の人達自身ではないのか、と改めて感じさせられた。
 当時、この博物館施設におられて、現在は市内の図書館で司書をしておられるHさんには、展示上のことで筆者がカンシャクを出すことが多く、大変ご迷惑をおかけした。 しかし、今となっては懐かしい思い出である。




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