(H22年7月1日掲載の記事をもとに作成)
郷土の自然史発見 その9

およそ三千万年前にそびえていた巨大な流紋岩溶岩の火山

甘南備寺山の溶岩円頂丘跡を歩こう!
位置:島根県江津市桜江町大貫

 身近と言いえば実に身近なところですが、小さな自然館の背後には、かつて巨大な溶岩円頂丘がそびえる火山がありました。 また、万葉の歌人 柿本人麻呂の終焉の地「鴨山=甘南備寺山」説の山でもあります。

 当館を開設したころから甘南備寺山一帯の溶岩円頂丘跡や円山一帯の潜在円頂丘跡に興味があってコツコツ観察活動をしていた関係で、これらの山にある谷という谷、尾根という尾根をくまなく歩き回りました。 当館の山歩きは自然史関係の観察活動が目的なので、一般の登山のようにスポーツやレクレーションなどが目的ではないですが、希望される方々には無償で案内(季節に関係なく年間を通して)をしています。

(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
上の図中の青色の文字列をクリックするとそれぞれの画像や関連記事へリンクします。
←人麻呂の終焉の地が甘南備寺山であると述べられている本
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↓ 渡から見た甘南備寺山

 甘南備寺山の山体をつくっている流紋岩溶岩層とその周囲にある溶結凝灰岩層との境界付近には、様々な岩相の砕屑岩があります。 左の展示標本は、流紋岩溶岩の水冷自破砕によってできた細かな砕屑物が水底に堆積してできた流紋岩質の砕屑岩(凝灰岩)です。

道なき道を歩こう! 甘南備寺山5つの登山ルート

  (国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
↓ 川本町三原から見た甘南備寺山

↓ 甘南備寺山の山頂にて
↓甘南備寺の枝垂れ桜

↓宝物館

 かつて甘南備寺山の中腹にあった旧甘南備寺は、天平十八年(七四六年)に建立されたと伝えられていて、明治5年(1872年)3月14日に起きた浜田地震によって井戸の水が枯れたために、現在の江ノ川沿いに移築されたと言われています。
              ↓ 甘南備寺と宝物館と流紋岩の大露頭
 甘南備寺には「宝物館」が付属していて(右の写真の白壁の蔵)、平安時代の源氏の武将佐々木高綱によって奉納された鎧が展示してあって国の重要文化財に指定されています。
 また、最近、駐車場付近の工事の際に現れた流紋岩溶岩の大露頭などもあり、甘南備寺山の山体をつくる流紋岩溶岩の良好な観察地点にもなっています。

       ↓ 旧甘南備寺跡に見られる礎石と瓦の破片
    

甘南備寺山登山は新緑の季節が最適!

 今年(令和3年)のGW期間中に行った観察会では、大田市や松江市から参加していただいた方達と甘南備寺山の山頂登山を行いました。 筆者としては、甘南備寺山の山頂まで登るのは大変久しぶりのことでした。
 このたびは、水の国正面にある登山口から定番コースを上り、旧甘南備寺跡を経由して尾根沿いに一気に山頂まで登りました。 そして、下りは長距離コースで尾根沿いに一気に坂本川流域の道路まで降り、道路を歩いて車を置いている水の国正面の登山口へ帰りました。

(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
旧甘南備寺跡


旧甘南備寺跡の礎石
     
甘南備寺山山頂
(左は二等三角点の埋票と標識、右は鉱滓の入った祠)
 
 甘南備寺山山頂は広く平坦でよく開けていますが、残念ながら周りに高木が多くて下界の江ノ川や集落などは葉や枝の隙間を通してわずかにしか見れません。
旧甘南備寺の墓地


墓の表面に残る「天保」の文字
旧甘南備寺跡に残る瓦


尾根上の広い平坦地
 当館の行う観察会は、筆者が自然史関係の踏査で歩いたフィールドで主にやっているので、ちゃんと整備された登山道などほとんどない、言うなれば「野生の自然」みたいなところばっかりです。 やっぱり、山歩きに慣れた人向きかな?、といった感じもしますが、備えあれば○○であります。 山歩きに不慣れな参加者の方達でも責任を持ってご案内します。
 当館の観察会では、決して個人や団体に参加を催促したりするようなまねはしません。 義理や人情、人脈や金脈、地縁や血縁、先入観や偏見などとは無関係に、純粋に「野生の自然」、「地域の自然史」、「自然史の科学」といったことに興味関心のある方達にどしどし参加していただくことを願っています。 このたびの観察会に参加していただいた方達には、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。


かつて巨大な溶岩円頂丘の火山があった甘南備寺山山系を縦走しよう!

流紋岩溶岩層に挟在している緩傾斜の凝灰岩層↓


流紋岩溶岩層と溶結凝灰岩層との境界付近に産する凝灰角礫岩(研磨標本)↓


流紋岩溶岩層と溶結凝灰岩層との境界付近に産する火砕サージ堆積層の凝灰岩↓
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
↑図上へマウスカーソルを置くと画像が切り替わります!


 ←甘南備寺山の山麓を流れる谷川の川床で発見!

 先日、川床の露頭で丸みのある斑状顕著な安山岩質のブロック状が火砕岩中に含まれているのを発見した。 やっぱり、このあたりにも強溶結の火砕岩があるのかとようやくわかった。 発見の喜びを感じた。
奥寺山山頂付近の流紋岩溶岩の露頭↓


↓尾根の岩場で一休み(平成14年5月)
 


甘南備寺山の山麓を流れる谷川にある無名の滝↓


川越大橋のウオタカ↓
トンビではありません、あしからず

貫入境界 発見! しかし、断層境界かも?→ 

 先日、甘南備寺山の山麓を流れる谷川流域で凝灰岩の層に花崗閃緑岩が貫入して接している境界を発見した。 境界は軽微な割れ目になっていて、割れ目をはさんで岩相の違いが鮮明でよくわかる。 これまた発見の喜びを感じた。(シャープペンの左側にある縦の割れ目が境界。割れ目をはさんで右側が花崗閃緑岩、左側が凝灰岩)

 ←踏査中に見つけた鹿の頭部

 先日、甘南備寺山登山口の一つである短距離コース登山口付近で鹿の頭部を見つけた。 これは猟師の罠にかかった鹿だそうで、切断した頭部だけを付近にほったらかしてしばらく獣に食わせて頭骨だけにするそうである。 大変、エグい光景だった。 
流紋岩の洞穴に安置された一体の地蔵さん↓

 先日、甘南備寺の背後を流れている谷川を踏査していたら流紋岩の岩壁に掘られた洞穴の中に一体の地蔵さんがひっそりと置かれていた。
 この付近の岩壁にはいたるところに洞穴が掘られていて、何体もの地蔵さんが折り重なるように倒れている洞穴もあります。

必見!無名の滝とその周辺にある自破砕溶岩の大露頭
 甘南備寺山の山麓を流れ下っている谷川を下流側から上流側へ向かって歩きながら、谷川の川床やその周辺にある露頭(地表面にむき出しになっている地層の一部)を順々に観察して行ってみるといろいろと興味深い甘南備寺山の自然史を発見できます。 谷川には上流から流れてきた土砂や転石が積もっていて下流から上流までずっと露頭が続いているわけではないので、できるだけ多くの露頭を探し出してその岩相(人の人相みたいなもの)を観察して歩かなければなりません。

(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)

 上の図面は、甘南備寺山の山麓を流れている谷川(坂本川の支流)を出口付近から山頂付近にある水源地付近までを歩きながら、谷川流域の露頭を観察してその岩相(岩種)を色分けしたものです。
 自破砕溶岩は火山礫凝灰岩と流紋岩との境界付近にあり、遠い昔、火山礫凝灰岩の層を流紋岩溶岩が突き破って噴出してきたことを想像させます。
無名の滝(落差約5m)



滝頂上の水際にある
流紋岩に含まれている自破砕岩片
滝斜面にある自破砕のデコボコ



滝の東側山斜面にある
自破砕流紋岩
 ← 滝周辺に転がっている自破砕流紋岩の転石
 遠い昔、地表を突き破って出てきた流紋岩溶岩(流紋岩質のマグマ)が冷却されて岩石になる過程で、自破砕によってできた同質の大小さまざまな岩片・岩塊がまだ固まっていなかった溶岩に飲み込まれてできたもので、風化の進んだ面はゴツゴツデコボコしています。
踏査中に見つけた木炭→ 
  甘南備寺山の山麓には、いたるところに炭焼きの跡(釜跡)が残っていて、その周りには木炭の残骸が見られます。 また、たたら精錬によってできた鉱滓がたくさん集積した跡もあります。 はたして、どこで砂鉄を調達したのだろうか?

流紋岩の分布と火山の存在、自破砕が起きるわけ
 流紋岩という岩石は非常に粘りの強い溶岩(マグマ)が火山から噴出し冷却固結してできた岩石です。 粘りが強いため火口から噴出した溶岩は火山周辺へほとんど移動せず、火口付近で固結したまま新たに噴出してきた溶岩によって上方へ押し上げられ、火口のほぼ真上に溶岩円頂丘を形成します。 現世の火山で言うなら、北海道の昭和新山や有珠山のような感じだと思いますが。

 火山から噴出した溶岩(マグマ)は、外気に触れている溶岩の表面や地表に接しているところは溶岩内部よりも早く固まりますが、溶岩内部はまだ固まっていないのでその流動につられてすでに固まっているものが自破砕して細かな岩片として内部に取り込まれていきます。 このようにしてたくさんの自破砕岩片を含み込み、最終的に冷えて固まってできた岩石が自破砕溶岩です。
 上の説明図は、安山岩質溶岩や玄武岩質溶岩のような粘性の低いサラサラした溶岩(マグマ)のものであまりまげにないですが、自破砕のでき方は基本的に同じです。
 安山岩質自破砕溶岩や玄武岩質自破砕溶岩では、含まれている自破砕岩片は強く酸化して赤褐色っぽい色を呈しているのが多いですが、流紋岩質自破砕溶岩は含んでいる鉄分が少ないせいか自破砕岩片はぜんぜん赤っぽくないです。 溶岩(マグマ)内部で早期に固まってできた岩片かもしれません。

定番ルート沿いの景観あれこれ
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
スライドショーの間隔時間の調節(0〜10秒):
010秒
 間隔時間:5秒 

(1)地点付近
↑水の国全景
ご注意:
 インターネットの通信速度が遅いと最初は画像の切り替えがスムーズにいきませんが、スライドが一巡してからは順調に切り替えられるようになります。

長距離ルート沿いの景観あれこれ
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
スライドショーの間隔時間の調節(0〜10秒):
010秒
 間隔時間:5秒 

(1)地点
↑登山口(標高150m)
ご注意:
 インターネットの通信速度が遅いと最初は画像の切り替えがスムーズにいきませんが、スライドが一巡してからは順調に切り替えられるようになります。

 先日(令和5年1月)、山城関係が専門の方達と市教育委員会の方達の後を付いて甘南備寺山を歩く機会があった。 このおり、当館が以前から自然観察会のルートとして設定していた「長距離ルート」上に山城跡が確認され、「やっぱり、あの広く平坦な尾根には山城があったのか!」とあらためて驚いた。
 「長距離ルート沿いの景観あれこれ」の地図上の(16)〜(17)地点の間に何段も山城があったそうです。
 戦国時代のころ、甘南備寺山やその周辺でも激しい戦いがあったのだろうかと思うと、なぜかしら心の武者震いを感じた。

赤の矢印の先付近の尾根筋に山城跡が複数段確認された
(上の写真は桜江町川越の渡地区の堤防から撮影)

↑ 複数段ある山城跡のうちの一つ
遺物・遺跡らしいものは何も見当たらない

らくらくルート沿いの景観あれこれ
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
スライドショーの間隔時間の調節(0〜10秒):
010秒
 間隔時間:5秒 

(1)地点
↑登山口(標高155m)
ご注意:
 インターネットの通信速度が遅いと最初は画像の切り替えがスムーズにいきませんが、スライドが一巡してからは順調に切り替えられるようになります。
 ← 丸山城主が旧甘南備寺の参拝で通った古道?

 先日(令和5年3月)、山城関係が専門の在野の研究者であるS氏と甘南備寺山を歩く機会があった。 このたびは「短距離ルート」から登って「らくらくルート」を降りる行程で、途中に尾根筋が鞍状に削剥された形跡のある場所が二箇所あり、大変興味深かった。(「らくらくルート沿いの景観あれこれ」の地図上の(9)地点付近)

短距離ルート沿いの景観あれこれ
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)
スライドショーの間隔時間の調節(0〜10秒):
010秒
 間隔時間:5秒 

(1)地点
↑後畑林道(標高205m)
ご注意:
 インターネットの通信速度が遅いと最初は画像の切り替えがスムーズにいきませんが、スライドが一巡してからは順調に切り替えられるようになります。

縦走ルート沿いの景観あれこれ


スライドショーの間隔時間の調節
(0〜10秒):
 010秒
間隔時間:5



開始(再開)地点番号の指定
(196):
 196
開始(再開)地点:1

地点番号1:甘南備寺山登山口前
ご注意:
 インターネットの通信速度が遅いと最初は画像の切り替えがスムーズにいきませんが、スライドが一巡してからは順調に切り替えられるようになります。

「甘南備寺山〜岩城山〜奥寺山 縦走登山」写真撮影ポイント
(国土地理院発行 1:25000地形図「川本」をコピーしたものに加筆)

  ↑ 上の画像をクリックすると拡大画像にリンクします


★只今、作成中!


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